ぼくはチャッピー
たなかゆうた作 よしだあいね絵
2022年 2月初版 夢玄舎
(Amazon PODにて製本)
6年生に使用 アイデンティティーを理解する
この本を出版されました田中悠太氏とは音声SNSで少し交流させていただいたことがあります。小説や子供たちにむけての物語をコンスタントに制作されていらっしゃり、志を同じくする方々と出版ベンチャー企業「夢玄舎」を立ち上げられ、大学で学びながら日々文章の研鑽に励まれていらっしゃる姿勢に、エールを送りつつ、私も良い刺激をいただいています。
- 分かりやすさ…★★★☆☆
- 絵の素晴らしさ…★★★★★
- 何度も読む…★★★★☆
- どんなときに読む…小学3年生以上で読書感想文むけ
チャッピーは遊園地の売店に売られているぬいぐるみ。そしてチャッピーは毎日のように製造され陳列されていく。その中にいる僕は、チャッピー…右も左も前も後ろも、なんなら斜め前後ろ右左、ぜんぶぜんぶチャッピーだけれど、ぼくはチャッピー。そんな僕がある日、よしき君に買ってもらって、田舎町に行きました。よしき君の家にはくまのぬいぐるみのミミがいて…自分って何だろうとずっと考えていたけれど、よしき君、ミミのおかげでチャッピーは「自分は何者か」を理解していきます。
ファンタジーに潜んでいた同一性の気づき
最初の一歩「ぼくって何だろう」
よくある人形たちが主人公の設定ですが、人形に投影される現代社会の姿はある一定の共通する価値観を持つことが多く、それゆえに読み手に人形たちの体験や冒険にすんなりと誘われるため、力を抜いてお話に没頭できます。また「ぼくはチャッピー」では“よしき君”というぬいぐるみの持ち主が登場します。よしき君の目をとおして物語を読み進めていっても、結末に見る風景はほぼ同じになるところがこの絵本の秀逸なところです。
絵の雰囲気もかわいらしく、柔らかい構図になっています。実写にあまり近づきすぎず、また作りすぎないよしき君の表情からも、やさしい男の子像がうまく描かれています。絵本の“絵”は挿絵ではなく、絵自体が物語でありますので「ちょっと絵がリアルすぎるから、小さい子には怖い絵にみえるかもしれない」という6年生らしい指摘がありました。感情が豊かであるがゆえの意見かと思われます。そしてもう一人、先によしき君の家で“ミミ”というくまのぬいぐるみがソファーにいたことがチャッピーにとっての第一の試練だったのかもしれません。初対面ではありますが同じぬいぐるみという物体であることは、ちゃんとチャッピーにも分かっています。ミミの存在無くしては、チャッピーが最後に同一性、あるいは自己の確立が出来なかったことでしょう。疑問と答えの一対として、おおきなチャッピーの疑問がここで提示されます
「ぼくってなんだろう」
誰しもが通りすぎる小さな疑問、実社会へつながっていく大きな一歩として思うことです。おそらくは子供たちがそれぞれ家庭に帰れば、両親や祖父母や兄弟、ペットなどが自身の見える範囲にいて「自分はこの家の一員」という答えに無意識の納得を得ていくでしょう。しかし家族のないぬいぐるみにとって、自分とは…という問いの答えが見つかりません。
ミミという他人
くまのぬいぐるみ「ミミ」は、よしき君と常に意思が通い合っているようにチャッピーには見えます。ミミは自分が大切にされていることが分かっているからですが、ミミにとってよしき君は特に友達でも家族でもないただ、自分と一緒に毎日を過ごしている存在としてだけの認識にとどまっているようでした。「あいついいやつだからな」と、あっけらかんと述べるところに、ミミとよしき君の距離感を測ることが出来そうです。そしてミミはチャッピーに、更に名前について問われます。チャッピーという名前の起源について、です。チャッピーは生まれたときから名前はチャッピーでしたが、ミミはきっと生まれたときの名前はミミではありませんでした。
名前は自分だけをあらわすもの
名前はその人のものです。同姓同名さらに同生年月日であっても、その人を表すものです。おおぜいのチャッピーを見てきたチャッピーにとって、チャッピーとは特別な意味をもつ大切な固有名詞ではありませんでした。そして出身地に対しても同じ事が言えます。チャッピーにとって遊園地出身というのはエリート階層で、華やかで堂々としたものです。一方、出身地がどこだか分からないミミに対してチャッピーは優越感を抱きますが、ミミには通用しません、なぜなら自分たちの主であるよしき君との長い年月を経て獲得した愛情があるからです。
ミミにとっては、チャッピーは普通の「とおいところからきたさるのぬいぐるみ」という程度の認識であり、どうしても仲良くなったりけんかしたり、などというコミュニケーションをたもたなければならない相手ではありません。ミミは、チャッピーが早くよしき君に固有の名前をつけてもらえるようになるといいなと話しかけます。名前の大切さがぬいぐるみ二人の共通認識として底辺を支えています。小学校では名札をつけ、名前を呼び合います。もしそれが名簿番号でしか呼ばれないとしたら、自分自身を無意識的にないがしろにしてしまうでしょう。個人の尊厳を大切にしたい課題が読み手の私たちにも培われます。
大人がこの絵本を読むときは
私はこの読み聞かせを6年生に行いました。その際に「アイデンティティーの確立」という言葉を添えました。6年生にもなったら難しい言葉や聞き慣れない言葉に反応してくれるだろうと期待して倫理学上での言葉を一緒に添えました。
この物語はアイデンティティーの確立を含んでいますよ。アイデンティティーとは、ざっくり言うと、自分に自分で「自分って何?」と問いを立てたときの自分の確たる答えのようなものですと。では自分というものを何を使って表現するのか、それは環境や他者、そして時代と、自分がどんな風に関わって生きているかということに他ならないのです。子供のみならず、大人たちにも中々すんなりとは答えられない問いですが、問い続けることによって自分というものが見えてくるのだと、信じながらページをめくって頂きたいです。
また、小学校低学年以下のこどもたちに向けてこの物語を与えるときは、まず自分がどうかと考えるより先に、「ぬいぐるみを大切にした幸せな物語」を楽しみながら、自分の持ち物を愛していけるように楽しく諭しながら読みたいものですね。
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