読み聞かせ絵本紹介「あなのあいたおけ」(プレム・ラワット作)

あなのあいたおけ表紙 絵本紹介

学校生活に慣れた2年生の5月に使用

あなのあいたおけ
プレム・ラワット作しろいあや絵

2016年8月初版 サンクチュアリ出版

 まず、絵がとても爽やかなのと(絵は、しろいあやさん)内容も帯にあるとおり“役割”というものについて、軽く認識をしてもらうために使いました。プレム・ラワットさんは北インド出身の講演家であり翻訳家でもあるそうです。そしてこの「あなのあいたおけ」は、インドに伝わる話を日本用に多少のアレンジをしたもので、素直に心に届く日本語で書かれています。なので物語の土台はインドということになりますね。

  • 分かりやすさ…★★★★☆
  • 絵の素晴らしさ…★★★★☆
  • 何度も読む…★★★☆☆
  • どんなときに読む…落ち込んだ時や自己否定的考えを止めたい時

 ~毎日のように庭師は、川から水を汲んできて草花に撒いていました。ある日庭師が転んでしまって水を汲む桶に傷がついてしまい、水漏れを起こしてしまいます。庭師と一緒に一滴も水を漏らさずに仕事をしてきた桶は、すっかり自信をなくしてしまい、孤独になります。そんなときに庭師が桶に与えた役割とは…

欠陥のある道具と自分との関係性について

 自分が好き、といえる人は多分苦難を前向きに捉えることの出来る人ですね。大抵の人々は自分に自信が無いから問題にぶち当たったら逃げたくなりますし、実際逃げられるなら逃げてしまうでしょう。とはいえあからさまに逃げる姿勢を示してしまうことにも自尊心が傷ついてしまうことも多くあります。
完全な人間なんていないのはよくわかっています。なのに、他人と比べて一喜一憂する。そんなこと、止めましょうー口で言うのは簡単です。

 この破損した桶は、桶としての一生の仕事を全うできないことにとても悲しみを覚えます。そして心を閉ざしてしまうのです。自分自身のせいで傷ついて、使用不可能になってしまったわけではない事を、加害した庭師を責めることや恨むことは書かれていません。それはつまり、

道具は、いつかは壊れてしまうもの

ということを示唆しているようです。
 私たち人間も、環境からの刺激によって身体または精神を壊されることは、大いに起こりえます。しかし私たちが壊れてしまう要因は外部環境や他社との関係においてだけではありません。物も人も加齢や劣化が起きてきます。私たちがどこかの時点で生活が難しいと感じてしまったなら、それは心身のどこかが劣化や破損を起こしたということなのでしょう。いずれにせよ『自分と自分以外のもの』との関係によって自分自身の欠陥や劣化を自分が発見することになります。

 この絵本では、破損のないもう一つの桶から破損した桶の欠陥部を指摘されます。そこではじめて“あなのあいたおけ”の悲しみが始まります。

 自分の悲しみは、自分の中から湧き上がってくるものではなく、往々にして、他者からもたらされるものであるようです。この本を2年生で採用した理由はまさにそこで、何気ないクラスメイトの一言から、または先生、家族などの他社からの一言で、自分が傷つくことをしっかりと自覚できる年齢だと思ったからです。

もうひとりの友達

 庭師は天秤棒で桶二つを担いで水汲み仕事をしています。欠陥部を指摘した破損のない桶は、特段に片方を貶めようとしたわけではありません。恐らくは見たままを相手に伝えた、それだけです。しかし“あなのあいたおけ”が予想以上の反応を示したために、自分は悪くない、ただ普通の桶として仕事をするだけのことと、自分に言い訳をしているように見えます。そして傷のない事がとても誇らしい様子です。
 “あなのあいたおけ”には周りの小動物が時々の友達として登場します。中でも一番の仲良しであるハリネズミが、桶の二人の仕事を尊敬しているようです。ハリネズミは桶が壊れていようがいまいが、毎日全く同じように通り過ぎていく桶に「おはよう」と挨拶をし続けますが、壊れてしまった桶は元気よく挨拶をする気にもなれず、またリスやヒバリなどの声かけにも、自分の自信のなさから返事が出来なくなっています。

 ハリネズミは桶のカナ意味の元凶が何であるかは分かりません。しかし返事をしてもらえないハリネズミも、桶とおなじような悲しみを感じました。

壊れていない桶と、ハリネズミの対照性

 果たして、友達というのは一体どういう存在と認識すべきでしょうか。

  • 何でも言ったり言えたりする間柄
  • 何も言わなくてもそっと傍らに存在している間柄

  特にどちらかが正しく、どちらかが間違っているわけではないけれど読み聞かせるときは「こわれていないおけ、と、ハリネズミさん、今の自分はどっちに似ているかな?」とお話の後に感想を聞いてみると、それぞれの答えが返ってきそうです。

大人がこの絵本を読むときは

 大人は様々な経験の中で、自分の欠点や欠陥を自覚し改善できるモノは改善していく努力を重ねてきたことでしょう。しかしここで大人は庭師の存在に着目すべきでしょう。庭師は水漏れをする桶の使い道を、桶が今置かれている状態を最大限生かして、別の仕事をさせます。それを「生きる道」と呼んで良いと思いました。

 かくいう私も欠点や欠陥は嫌になるほどたくさんあります。それらの自分の欠点のいくつかは「使い方を変えれば、使えるモノになる」かもしれません。自分の欠点は“あなのあいたおけ”で自分自身は庭師です。自分で自分にアドバイスを送り続け、上手に欠点をコントロールしたいですね。

 そして、子供たちにも庭師の目線や心の持ち方で『キミの悪いところは、こういうところだけど、それは言い換えればこんなふうに良いことだよ』と言ってあげられるように目指していきたいですね。自分の欠点をどう生かすのか、アドバイスは自分をよく見てくれる庭師から、破損のない桶から、いつも変わらないハリネズミからしか、発信されないモノですから。

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